後輩「って、この前皆で久鏡さんについて話してました」
いや、勝負って誰と?
友人が「学生のうちに200冊本を読む」という目標を掲げていると今日聞きました。で、今まであまり読めてないからこれから巻き返すんだと。200冊かあ……レポート書くための資料とかをカウントしていいなら多分超えてると思うよ……筆文字とか全部漢字とかザラだけど。
しかし懐かしいなあ、目標立てて本を読んでいくの。高校の頃はよくやってました。一年で100冊とか。まあ勿論数読めばいいってもんでもないですけどね。何を読むかってのも同じくらい大事なことだと思います。そういえば一回生の頃に読書マラソンを始めたんですがどうも私には合わないようで断念した覚えが。あれって自分のペースで読めないからめんどくさかったんだなあ。
とか色々読書について友人と語ってたら、なんだか無性に推理小説が読みたくなったので昨日図書館で借りてきました。高木彬光の平成神津恭介シリーズ。正直昭和のシリーズの方が好きなんですが、これがなかなか手に入らないんですよね……。図書館にある本は大抵家に揃ってるし。お嬢さん記者よりも松下君の方が好きな私としては残念だし、神津先生の全盛期はやっぱり昭和のシリーズだと思うので是非再版してほしいんですが。……今密林で調べたら中古品が相当出回ってるよう。でも買えない……クレジット決済オンリーとか酷ぇよ……orz 代引きだったら迷わずまとめ買いするんだけどなあ。
ちょっと語り入りますが、私がお嬢さん記者よりも松下君の方が好きなのって、松下君と神津先生がある意味対等な位置関係にあるからなんですよ、助手と探偵っていう。身も蓋もないことを言ってしまえば、別に助手がいなくたって探偵は事件を解決出来るんですよ。アリスだって常に火村先生のフィールドワークにくっついて行ってるわけじゃないし。助手って言っても結構名ばかりだったりすることも多いし(勿論ちゃんと仕事してるけども!)。でも、それでも助手は大抵の場合、探偵の隣に立ってるわけです。御手洗には石岡君、火村先生にはアリス、木更津悠也には香月実朝って具合に。それは、勿論作品を構成するシステムとして、探偵という特別な存在を、語り手である助手の目線を通して読者の目が届く位置に下ろしてくる必要がある――要するに助手を探偵と読者のパイプ役に使うからっていうのもあるんじゃないかと思うんですが、それとは別に、物語として、探偵をただの孤高の存在にしないための要員でもあるんじゃないかと思うわけです。神津先生にしたって火村先生にしたって、傍から見たら結構な完璧超人ですよ。顔も頭もいいわけだから。でも、そこに助手という存在を宛がうと、探偵に人間味が出て、それがまた助手の良さを引き出して、っていう風にいい影響をお互いに与えあっているような感じになるって気がする。そういう意味で、探偵と助手っていうのはすごく対等な関係だと思うし、そういうのが私は好きなわけです。それを踏まえて高木作品を考えると、お嬢さん記者シリーズっていうのはどっちかっていうと神津先生がお嬢さんを導いてる、って印象が強い。だから、ミステリとしてはすごく面白いんだけど、正直私が求めてる「探偵と助手」の書かれたミステリじゃない。その辺りがちょっと個人的に惜しいなあと思うんですよ。読めば読むほど松下君に会いたくなる。二人の掛け合いが懐かしくなってきて、ああ昭和のシリーズが読みたいなあ、ってなるわけです。お盆に東京行った時、時間があれば神保町行って探してみようかなあ。
……久々にロボットから離れたと思ったら今度はミステリですってよ奥さん。そろそろトップページに何か注意書きでもした方がいい気がしてきた。